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1966年、大阪府生まれ。3歳で母親と離別。食べるものに困るほどの「極貧」時代をすごす。
中学を卒業後は、「看板屋」に住み込みの「丁稚」として就職。
その後、運送会社や、吉本興業(株)などを経て、20代後半で、単身インドネシアのバリ島に渡り、事業を開始する。
多くのインドネシア人にお金を貸していているうちに、気がつくと「自分がほぼ無一文」に。
そこから、奇跡の大逆転をし、「不動産デベロッパー」として大成功。
バリ島での資産は圧倒的で、現地関連会社29社を所有し、現地人従業員は5300名を超え、自宅がなんと25軒、
さらに東京ドーム170個分の土地(800ヘクタール)を所有する世界レベルのウルトラ大富豪。
その「資産」は、「ありすぎて試算できないレベル」。
地元の人々に、学校、病院、サッカー場などを寄付するだけでなく、アスファルトの舗装、伝統芸能の楽団を維持・運営するための資金を援助、52人の孤児の「里親(経済的なすべての援助をする)」になるなど、今でも、困っている人には惜しみなく手を差し伸べる。
現地の人からは「アニキ」「マルさん」「ボス」などと呼ばれ、「村長さんよりも偉いくらいだ!」と、慕われている。
また、日本のテレビも特集され、テレビ東京の「ありえへん∞世界」や、テレビ朝日「スーパーJチャンネル」、
日本テレビ「金持ちA様貧乏B様」、関西テレビの「偉人変人たかじん」に登場し、大反響を呼んだ。

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プロフィールや目次でなんとなく、どういう本か想像は出来るかもしれませんが、
アニキっていったいどんな人なのだろうか...いったいどんな事がおこっていくのか...大富豪にどうやってなったのか... etc...
そんなアナタのために、今回は特別に『大富豪アニキの教え』のプロローグを限定で大公開します。
プロローグを読み終えた頃には、「アニキ」の人柄や人生に興味を持つ事になるでしょう...

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「このままの自分で、一生を終えたくない」

それが、日本から5600キロ離れた赤道直下、インドネシアの「バリ島」に住む、
世界的な「ウルトラ大富豪」に会おうと、僕を決心させた、一番の思いだった。

───「あと、1時間くらいですね」

クルマのハンドルを握るマデさんは、驚くほど流暢な日本語で話す。
僕は「そうですか、ありがとうございます」と小さく返事をして、クルマの窓を少しだけ開けた。
「大自然のにおいがする」という表現がぴったりの「バリ島」の空気が、顔に当たって心地いい。
僕は、今、クルマの助手席に座り、バリ島西部の「ヌガラ地区」を目指している。

「いよいよ、あのウルトラ大富豪の『兄貴(アニキ)』に会える」という期待感と、少しの不安。
「神々の島」と呼ばれるバリ島の田舎町、その静かな佇まいとは対照的に、僕の気持ちは、いささか高揚していた。

東京から5600キロ。
成田空港を飛び立って、約8時間。「ガルーダ・インドネシア航空」の881便は、
バリ島の「デンパサール空港」に降り立った。はじめて降り立つ、バリ島の感想は…、

「光に満ちあふれた島」だった。

昨日の土曜日の夕方にバリ島に到着し、そのまま倒れこむようにホテルで1泊。
日曜日の今日、手配してもらったクルマで、僕は、目的地へ向かう。
現在は、16時。赤道直下のバリ島は、4月~10月が乾季、11月~3月が雨季ということで、乾季である今の6月は、
33度あるというのに、湿気が少なく、思ったよりも、すごしやすい。
デンパサール空港から「ヌガラ地区」までの道のりは長く、「クルマで3~4時間はかかる」そうだ。

僕の名前は鈴木一郎(すずき いちろう)。31歳。彼女いない歴3年。顔もいたって普通。
年収295万円の、ごく普通のサラリーマン。僕が「兄貴」のことを知ったのは、1カ月前にさかのぼる。

ほぼ無一文から、世界的なウルトラ大富豪へと上りつめた、関西弁をしゃべる日本人大富豪、 本名は、丸尾孝俊(まるお たかとし)。通称、「兄貴(アニキ)」。

兄貴は、3歳のときに母親が家を出てしまい、父親と2人の生活で、子供時代は、
食べるものに困るほどの「極貧」時代をすごす。
中学を卒業すると、兄貴は「看板屋」に住み込みの「丁稚(でっち)」として就職。
その後は、運送会社で働いたり、お笑いの「吉本興業(株)」が当時直営していたディスコで働いたりして、
20代後半に、なんのあてもなく、単身「バリ島」に渡った。

派手な服装をしていたのと、毎晩、どんちゃん騒ぎをしながら地元の人々におごりまくっていたおかげで、
「お金持ち」と勘違いされてしまい、兄貴のもとには、たくさんのインドネシア人がお金を借りに来たらしい。
兄貴はためらわずに、お金を貸しまくっていたら、気がつくと「自分がほぼ無一文」になっていたという。

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そんななか、お金を貸していた数十人の中の1人に、「兄貴から借りたお金が返せないので、かわりに、
せめて私が持っている土地で、お返ししたい」というインドネシア人がいた。
荒れ果ててどうしようもない土地ではあったが、兄貴は、その土地に「自分の電話番号を書いた立て看板」を
立てておいたのだ。

そして、数年後。最後に手元に残った「18万円」を前にして、このお金で日本に帰るか、
それとも、バリ島でビジネスをするか、思案していたときのこと。
その土地の存在など忘れていたころに、なんと、その荒れ果てた土地が大化けし、
「3億円近く」で売れたことを機に、その土地を売って得たお金で、さらに土地を買って価値を上げてから売却、
また、さらにその売却したお金で土地を買って価値を上げてから売却を、次々に繰り返し、
兄貴は、「不動産デベロッパー」として大成功していく。

バリ島での資産は圧倒的で、現在、関連会社29社を所有し、現地人従業員は5300名を超え、
自宅がなんと25軒、さらに800ヘクタール(東京ドーム170個分)の土地を所有する世界レベルのウルトラ大富豪。
その「資産」は、「ありすぎて試算できないレベル」とのこと。

さらに、地元の人々に、学校、病院、サッカー場などを寄付するだけでなく、
荒れた道路にアスファルトの舗装をしてあげたり、バリ島の伝統芸能の楽団を維持・運営するための資金を、
ほぼすべて援助したり。

さらに、地元の人々に、学校、病院、サッカー場などを寄付するだけでなく、
荒れた道路にアスファルトの舗装をしてあげたり、バリ島の伝統芸能の楽団を維持・運営するための資金を、
ほぼすべて援助したり。

また、日本のテレビでも兄貴は特集され、テレビ東京の「ありえへん∞世界」や、テレビ朝日「スーパーJチャンネル」、
日本テレビ「金持ちA様貧乏B様」、関西テレビの「偉人変人たかじん」に登場し、大反響を呼んだ。

僕は、兄貴に激しく興味を持った。

「どうやったら、無一文から、そんなに、化け物級に、お金持ちになれるのか?」
「どうやったら、日本から訪れる人が絶えないほど、人から好かれるのか?」
「どうやったら、一気に、自分の人生を変えることができるのか?」

そして、インターネット上の「フェイスブック」に「兄貴 和僑(わきょう)」や「兄貴(丸尾孝俊)」の名前で、
兄貴自身が書いている「掲示板」の文章を読んで、腹を決めた。「兄貴に会おう!」と。
【兄貴の言葉】の中にあった、

「とにかく会え! 100通のメールより、1度の面会」

という言葉が、僕の腹を決める、最後の一押しだった。

兄貴に会えば、自分も人生を変えることができるかもしれない。31歳。彼女いない歴3年。
年収295万円、手取り月収が約20万円の、「ごく普通のダメサラリーマン」で、
何度も、何度も、自分を変えようとしたけれど、気がつくといつも同じ毎日に戻ってしまっている自分を、
今度こそ、変えられるかもしれない。

正直、僕は「成功」というものをしてみたい。成功、成功って、言うと、いやらしいけれど、でも、僕は、成功したいのだ。
安さ重視で、ファミリーレストランに入ったのに、そこで、さらに値段を気にしながらメニューを見たくないし、
洋服を1~2着買ったくらいで、その月のお給料がカツカツになったりしたくない。
そりゃ、「大富豪」とまではいかないまでも、なにかを買うときに、いつも最初に「値札(ねふだ)を見てしまう自分」なんて、
やっぱり、いやだ。できれば「値札を見ない生活」を送りたい。

住むところにしたって便利なところに住みたいし、どこかに気軽に遊びにいける自分でいたい。
海外旅行だって行ってみたいところはいろいろある。かわいい彼女だって欲しい。
それに、自分が「仕事」でなにかを成し遂げて、社会的にだって認められたいと思う。
たまには、人前で話したりもしたいし、ぶっちゃけ、友人とか、知人から、「鈴木さん、成功者ですね!」って言われたいのだ。
今のまま、何者でもない今の自分で、このまま、一生、すごすのは、自分自身がかわいそうだ。

僕の心の中には…、
「このままの自分で、一生を終えたくない」
という、強い思いがあるのだ。

「本気で自分の人生を変えたいなら、見たことも聞いたこともないような、自分の常識では、
とうてい計り知れないような『すごい人』に会って、教えをこうしかない」

そう思った僕は、「フェイスブック」で兄貴の直接の友人でありそうな人に目星をつけ、
「お会いしていただけませんか?」と、メッセージを出した。メッセージを出すこと、56人目。
やっと、住所が近くて、会っていただける人が見つかった。
しかも、兄貴と、相当に親しい人らしい。名前を仮に「Kさん」と名付けよう。
僕は、Kさんに会うなり「ぜひ、兄貴を紹介してください」と頼みまくった。
Kさんは「そこまで言うなら、今日の夜、僕から兄貴に聞いてみるけれど、
忙しい人だから保証はできないよ」と言ってくれた。そして、Kさんからの連絡を待った。

「どこの馬の骨ともしれない僕に、はたして、兄貴はOKをくれるのだろうか……」
そんな心配をする間もなく、自宅に到着するやいなや、Kさんのところに、兄貴からの連絡が届いたという。
兄貴からのメッセージは、一言だった。

「いつでも、おいで」

はや……。兄貴、速すぎるぜ。こうして、僕の「バリ島・兄貴邸への訪問」が決まった。

……マデさんは、もくもくと「ヌガラ地区」へ向けて、クルマを運転する。
それにしても、マデさんは、この長時間の運転でも、休憩もしなければ、トイレにもいかない、
眠そうにもしない、文句ひとつ言わない、ものすごいタフだ。
このエネルギーは日本人にはないものだ。運転中、マデさんは、ちょっとだけ兄貴のことについて、話をしてくれた。

「ボス(兄貴)は、僕の実家の会社が危なくなって、200万円ないとつぶれてしまうというときに、
ポンと200万円を貸してくれた。平均の月給が1~2万円のインドネシアでは、200万円ってものすごい大金。
ボス(兄貴)、それ、ポンと貸してくれた。それで、実家の会社、つぶれなくてすんだ。
僕、ボス(兄貴)に、ものすごく感謝している」と。

こんなところにも、兄貴に救ってもらった人がいたんだ。僕も、早く、兄貴に会いたい。

クルマで飛ばすこと3時間。現地の人々が軒下に座り込む市場をいくつも通りすぎ、
アップダウンを繰り返す山道を乗り越え、どこまでも続くかのような、
海岸線、畑、草原を乗り越え、夕方17時、ついに「兄貴邸」に到着した。

兄貴邸を囲む「壁」を見ると、はるか向こうまで続いている。
なんだ! このウルトラ大邸宅は!
僕はマデさんにお礼を告げ、兄貴邸に足を運んだ。
入り口には、いくらするのか想像もつかないような外車が止めてあり、かわいい女性のお手伝いさんたち、
男性のスタッフたちが、総出で僕を出迎えてくれている。
なんだ! このウルトラ出迎えは!

中庭の門をくぐって、玄関に歩いていく途中に、大きな堀があって、
堀の底の池には、2メートルはありそうな巨大なワニがいた!
そして、その堀の横を、クジャクが普通に歩いている!
15メートル級のプールと噴水もある!
庭がどこまで続いているのか、一瞬、わからないくらい広い。
そして、どうやら、兄貴邸の屋上は「ヘリポート」になっている!
すげえ、兄貴邸!これで、25軒ある自宅のうちの1つかよ!

玄関で、今回の「兄貴邸への訪問日程」や「現地でのクルマの手配」などを調整してくれた、古屋司(ふるや つかさ)さん、
田中克幸(たなか かつゆき)さんと「握手」した。古屋司さんは「兄貴ツアーの現地担当者」をしており、
田中克幸さんは「兄貴の会社のスタッフ」をしている。
お2人は、とてもフレンドリーで、かつ仕事がものすごく速い。
さすがウルトラ大富豪の兄貴の周りは、サポートする人々の体制も、万全だ。

ドキドキしながら、玄関をくぐると、すぐ左手に20人くらいは座れそうな大きなリビングがあり、
どうやら数人が集まって、食事をしているようだ。

リビングを見渡し、様子をうかがうと……、いた!
短髪で貫禄のある顔だが、グッと眉毛が三日月形で、いつも愛嬌のある笑顔をたたえている、
とても味わいのある顔……「フェイスブック」で見た顔と同じ、兄貴だ!
そして、やはり、最高気温が33度のバリ島だけに、服装は、「Tシャツ」1枚と、ジーパン。
その「Tシャツ」には、「MAX」という文字がプリントされていた。兄貴、大富豪にしては、庶民派だぜ。

兄貴も一緒にいる日本人も、ソファではなく床の上にドッカリあぐらをかいて座り、
長テーブルを囲んでいる。どうやら、それが、このリビングでのお決まりのスタイルらしい。

リビングの長テーブルの上には、びっくりするぐらいの量の食事が、積み上がっていた。
夕食中の兄貴は、山のように盛ってある「上海ガニ」をバキバキと手際よくバラしていた。
そして、目の端で僕をとらえた瞬間、ニッと微笑みながら声をかけてくれた。

「よう来たな。待っとったでぇ~」
「まずは、バコーンとカニを食おう。完全に食おう。
すべては、それからや」と兄貴に言われた僕は、挨拶もそこそこに、上海ガニを頬張ることに。

バキッ! パクパク…。

うま……。これ、完全にバカウマだ! 「兄貴! すごく美味しいです!」と言いながら、
僕は、ガツガツと上海ガニを食べた。しかし、食べても食べてもなくならないほど、上海ガニは、山積みされていた。
リビングにいた数人の人々は、全員、日本人で、兄貴と楽しげに会話をしながら上海ガニを食べている。
僕と同じように、兄貴に会いに、日本から来た人たちだろう。

そして夕食を終え、「アカン、完~全に、腹割れそや…」と満足げにお腹をさする兄貴に、
「はじめまして、メールでご連絡させていただきました、Kさんからご紹介していただいた、鈴木一郎といいます。
よろしくお願いします」と言うと、兄貴は、ニッと笑って、こちらを見た。

「一郎ということは…、そやな、あだなは『いっちゃん』がええな。『いっちゃんスゴイ』みたいで、ええやんか。せやろ?
ほんなら、今日からキミのことを『いっちゃん』と呼ぼう。まぁ、ざっくばらんに、なんでも聞いてや。遠慮は、なしや」

兄貴は、タバコを取り出すと、カチンッと、ジッポーライターで火をつけて、ニッと笑った。
兄貴は、なんともフレンドリーに、僕の目の前にあらわれたのだ。

そして、この日から、「僕の人生が完全に変わる」ことになる。

「では、さっそく、はじめようや。で、いっちゃん。最初に聞きたいことは、なんや?」

―――『大富豪アニキの教え』の【1】に、つづく

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